●写真界自体が至極混乱としている様に見えるのは、防諜の声と、アマチュア写真是非論等の、大局から見れば今更少しも慌てる必要のない、言はば「姿なき影」に怯えてのことであらうが、我々はアマチュア写真が、その進路を如何に取るべきかについて、事新しく明確にすべき必要を認めない。
●同様に、本誌の編集方針を明言しておく必要もあるまいと思ふ。実際について長い目で見ていて下されば、一番はっきりするからである。
(中略)
●も一つ、近頃苦々しく思っていることは、一種のルポルタアヂュ・フォトを提示して、アマチュアの進むべき道なりと広告宣伝されている事実である。謂はば誇大広告なり片づけて了へばそれまでかもしれないが、明朗闊達なるべきアマチュア写真人が、若しもかうした迷言に惑はされて進路を誤るやうなことがあっては気の毒である。報道写真に進むことは差支へないが、これが唯一の方向の様に誤解するのを虞れる。一部の職業写真人の中には生活のために、過去の「芸術」を捨てて急転直下、報道写真家に早変りしかけている者もあると聞いているが、何時の世にあっても、地面に確り足のついていない場合、決して立派な仕事のできる訳はないのであるから、アマチュアは迷ふべからず。(北野邦雄)(「編集後記」『写真日本』創刊号[一九四一年一月])
2011年08月21日
苦言
2011年08月20日
合併号の理由
敵米の神経戦謀略爆撃に依り止むなく先の十一十二合併号をお送りした直後又もや今月号(一、二合併号)を焼失した。折角刷了になり製本進行中の処を、と部員一同新なる憤激に燃えている。本号は右号を急速に改版印刷したるものであるが、季節的な不合理の点はご了承せられ度い。三月号は工業写真特集号にして総べての手配を終了した処にこの謀略爆撃である。同時に四月号用原稿全部と貴重なる文献と企画表をも喪失した。
この点、編集部として執筆家の諸先生を始め、一般読者諸彦に対し深甚なる謝意を表するものである。
然し、かくあるは既に覚悟する処であり戦力に影響する点は極く軽微であった事をお知らせしたい。今後も戦局益々苛烈を極むるであろうが、必勝の信念も新たに戦い続ける事をお誓いしたい。編集部(「告知!!」『写真科学』一九四五年一・二月合併号三六頁)
2011年08月19日
ニエーレ・トローニ(Niele Toroni)
《30cmの間隔で規則的に繰り返される50番の筆の痕跡》は私のすべての作品、すべての連作のタイトルです。これは私がすでに書いたように、文字どおりの陳述です。この表明は私の「仕事/絵画」のすべてに共通する項目です。すなわち、それがすべてを語り、もしなされた仕事を目にしなければ、何も語らず――何も語ろうとはしません――。ニエーレ・トローニ
作品制作のメソッド
与えられた支持体の上に、50番の絵筆を用いて、30cmの規則正しい感覚で筆を押しあてる。
下地:
麻布、綿布、紙、オイルクロス、壁、床など。たいてい白地が基調である。
押しあてること:
ひとつの物を別の物の上に置き、それを覆い隠すように、そしてそこに粘着するように、あるいは痕跡を残すようにすること。
50番の絵筆:
幅50mmの平筆。
提示される「仕事/絵画」
30cmの間隔で規則正しく繰り返される50番の絵筆の痕跡。
2011年08月18日
石津良介、編集者に
□北野君が一身上の都合でカメラ編集部員を辞される事になり、多分八月一パイで責任ある仕事は一時私が引継ぐ事になりますが、外部からの支援は相変らずやってもらう事になっております。誠に得難い協力者を失うことは残念至極ですが、強いて引き留めることが出来ない事情もあるので、不承不承私は同君の申出を受理してしまったのです。目下後任者物色中、一日も早く適任者を得度いものです。(高桑生)(「編集の前後」『カメラ』一九三九年九月号)
□協力者北野君の後継者として岡山の石津良介君を煩わす事に決定しました。作家としての石津君は改めて紹介するまでも無く、中国筋に於ける特異な存在として天下に知られて居ます。触る触るものを焼かずんばおかずという此人の熱が果して今後のカメラ誌の上に、どんな形となって現はれるか。読者諸君と俱に私も大なる期待をかけている。従来北野君担当の仕事は一切石津君に受持って貰うことにします。(高桑生)(「編集の前後」『カメラ』一九三九年十月号)
□入社のことば――このたび、高桑先生のお招きを受けて、カメラ誌編集部入りすることになった。前任北野邦雄氏のあとを受けて、果して私がどれほど此の大任をやり遂げ得るか。今迄、作家として我儘の言いたい放題、したい放題しつくして来た私が、一転、今度は編集者としての生活の中に飛び込んだのであるから全然勝手が違っていて、流石ノンビリ屋の私も、柄にもなく眼を白黒させて居るのであるが、兎に角、現在の私として、力一ぱい頑張ります。本誌のため、そして本誌何万の読者諸兄のために闘いますと、そう申上げるより外に言うべき言葉を知らないし、またそれが本当の気持ちなのである。願わくば、読者諸兄の心からなる御同情と御声援を得たいものである。
□帝都住宅難の折柄、高桑先生の御骨折りでやっと新居(新居ですゾ)に落着いた。何から何まで先生の御厄介になった形で、どうお礼申上げようもない気持である。転居通知を兼ねて、誌上でお報せする次第。どうぞよろしく。東京市外吉祥寺一九八四(石津良介)(「編集の前後」『カメラ』一九三九年十月号)