2012年01月28日

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ゴードン・マッタ=クラーク:スプリッティング ハンフリー・ストリート・ビル
『AVALANCHE』1974年12月号


■1974年5月21日火曜日、ゴードン・マッタ=クラークはニュージャージー州イングルウッド、フォンテイン・サービスにおいてリザ・ベアーと対談を行った。この対談はその後ハンフリー・ストリート・ビルにて継続された。

GM-C:ホリーとホラス・ソロモン夫妻は三月にハンフリー・ストリート・ビルを私に与えてくれました。ラカワナ路線近くのベッドタウンにある、寂れた住宅です。ここの集落(コミュニティー)は点在しながら始まりましたが、人々は自らの不動産を売って、再開発のためにこの都市の土地所有権を買い占めました。今は牧草がよく生え変わる時期になっています……この地域はほとんど南部の気候と同じで、あらゆるものはそのように移り変わっているのです。ソロモン一家は当初は投資のためにその家を購入しましたが、いまでは取り壊されることが決まっています。私の中でもっとも明らかなことの一つは、このビルで行われる制作への興味がどのようにして起こったのかということです。それは私が112グリーン・ストリートの地下室に住み、異なったコーナーについての作品を制作していた、1970年という時代を前進させたのです。第一にそれらは結局構造に関係しているわけではなかった。私はそれまで建物の内部で制作をしていましたが、しかし徐々に全体として、一つの物質としてこの建物を扱いはじめました。私がそれを実践したうちの最初の一つは1971年のボストン美術館美術学校においてですが、この建物の内部にある一つのシステムとして、配管工事を漠然と意識して始めました。私は壁の裏側に回って線を引っ張ってくることによってガス線の一つを広げました。だからギャラリーには圧縮ガスの輪があったのです。そして私はストリートに戻るルートでガス線を追って写真を撮りました。だから、この断片もまた写真的拡張なのです。数年前フォース(第四)・ストリートに住んでいたとき、私はすでに建築全体を扱う観点から考えていました。初めは活動の性質が明確ではないように思われたのですが、徐々に全体の建築システムにつながる、様々な種類の局部に関係した論理的な連続性があったのです。

LB:私はいつも建築的な文脈の中での制作としてあなた(の作品)を考えていますが。

GM-C:厳密な意味での建築的なものとは違います。「建築的」暗示を持つと私が考えている事柄の多くは、実際には建築ではないもの(非建築)についてであり、一般に考えられている建築というものには収まらない何かについてなのです。アナーキテクチャー展は去年、112グリーン・ストリートで開かれましたが――ここでは特に強烈に表現されるということは決してありませんでした――、それは既成の建築用語よりも他の何かについてであり、それは何か形式的なものの中に固定されることのないものです。

(続く)
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2012年01月24日

GMCとRSに関する覚書[2005]

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ゴードン・マッタ=クラーク
Splitting それはイリュージョニスティックではない
 →身体的な活動性 外部にある何かとつなげるものではない。

最初批評家たちから“split”が70年代のアメリカの生活の隠喩ではないかと誤解された
・まるで家を引き裂くことが国の危機的状態を表現しているようだ。
・女性に対する性的な、家庭的な攻撃…家にたいする「完全なレイプだ」
・安全や避難場を表す家がsplitによって危機にさらされる
 →家の隠喩…安定、恒久、安全 郊外の家の神話…アメリカの中産階級の夢

二つのイデオロギー…プライバシーと避難場所

開拓の時代、郊外は大都市と区別されてはおらず、「第二の」都市と(実際最近まで)考えられていた。
アメリカの郊外における第二の歴史的な脚光は19世紀中庸に始まった。富裕層は都市から離れ移動し始めた。

エントロピー

60年代のアメリカの大学ではル・コルビュジェに熱狂的な焦点が当てられていた。
それ故一方では「アカデミー・コルブ」と揶揄されていた。
57年、5分冊のコルヴィジェ全集が出版され、続いて65年の彼の死後、
60年代においてこの建築家の新しい画一的評価が探し求められた。
巨匠の教えを狂信的に受けるように、コルビュジェとフランク・ロイド・ライト(ミースも)の一面的な捉え方をし、教育熱が高まっていた。
しかしコーネル大学ではコルビュジェの異なった側面を扱っていた。(コーリン・ロウによって)
ロウにとって、コルビュジェは「新人文主義的な建築のシステマティックな脱構築や制作のための方法論を確立した唯一のモダンの実践者」とみなされていた。
70年代、ロウのコルビュジェ観は無視された。
コンテクスチュアリズム(文脈主義)…都会の哲学
…カール・ポパーの「開かれた社会」…反決定論、反ユートピア 歴史的知識の評価は「増加していき、断片的で偶発的」…ヴァールブルグ研究所の新人文主義的構造に似ている

コンテクスチュアリズムは二つの一般的に認知された都市の建築イメージを緩和する。
 1.開かれた空間のある伝統的都市は「個体的な塊を獲得する」 
 2.コルビュジェの「公園の中の都市」…開かれた空間に自律して立つ孤立したビル

新人文主義は種類や文脈の観念を通して、都市を人間と見立て、それに「場」を与えること、与えられた場所に埋め込むこと、という要素を持っている。

マッタ=クラークの「場の両義性」という言葉はロウのコンテクスチャリズムの避けられない要請を回顧的に述べているのか?…建物と場所の間にある擬人的関係

「表面のフォーマリズム」…他の同業者たちが支持していた建築に対する社会的回答に抗して、信奉していた人たちの「主に、建築の平面性、表面、薄さ、そして透明性」などのフォーマリズムの関連への反応として述べた言葉

●だが最終的に、彼の声明は判断不可能であり、建築的な時代精神によって揺れ動かされていたものではないことに我々は注意しなければならない。

60年代後半から多くの重要なアーティストたちがコーネル大学に集う
J.B.ヴァン・クレフと彫刻家ウィル・インスレイ(建築としての彫刻という授業を行っていた)
アラン・サレット、ルイーズ・ローラー、スーザン・ローゼンバーグ
そしてマッタ=クラーク

70年代初頭の芸術実践において仮想的「起源」としてコーネルのロマン主義化となったものは1969年2月の「アース・アート」展である。
「アース・アート」「ランド・アート」と呼ばれるようになった最初の展覧会というわけではないが、この展覧会は大雑把に言って一般的にサイト・スペシフィックな芸術や概念主義的な実践の斬新で批評的な形をとったものとして認識されている。
ウィロビー・シャープ…ニューヨークに拠点を置く批評家であり、影響力のあったコンセプチュアル・アートの雑誌『アバランシュ』の編集者
彼の独創的な考えに基づく展覧会
独特の地勢とアンドリュー・ディクソン・ホワイト美術館のディレクター、トーマス・レーヴィットのアカデミックで官僚的な了承を受けてコーネル・キャンパスを選択し、シャープは本来の場所で作品を構成するためにこのキャンパスへ10人のアーティストたちを招待した。
ロバート・モリス
マイケル・ハイザー
デニス・オッペンハイム
ハンス・ハーケ
ロバート・スミッソン 他

イサカの地には生の物質(自然)が豊富で、東海岸では最高の地だったとシャープは述べる
美術館と外部の場所の二点で制作を行うことが展覧会のコンセプトとして求められた。

この展覧会は60年代中頃から登場してきたサイト・スペシフィックの芸術についての総括的な議論が鍵となっていた。

現象学的な場の特殊性の実践として読む…場所の観念は身体と空間の交差的な織り込みに依存している
鑑賞性における二つの関係付けられたモデルは、この手続きに由来している
一定の空間を占める合計された基盤に訴えるために、そしてコミュニティの総括された観念をもった同一の広がりのある場所について考えることで、特殊な場にとっての作品制作をみる

つまり、いかにスミッソンが理論化した「サイト」と「ノン=サイト」という非常に難しいこの同時間的実践に対する貢献から出発するのか、ということである。

サイトとノン=サイトの間の複雑な弁証法は、作品を本来の場で、外部の場所の変動する範囲のなかで作り、そして「室内の」アースワークとして提喩的な転置がこのギャラリーの空間の内部でフレーム化されたということ

マッタ=クラークはスミッソンと出会う

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Gordon Matta-Clark, Splitting: Four Corners, 1974.


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2012年01月22日

ロバート・スミッソン:「サイト/ノン‐サイト」

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ロバート・スミッソン《コーナー・ピース(カユーガ岩塩坑プロジェクト)》
1969年、121.9×121.9×121.9cm、鏡・岩塩、東京都現代美術館蔵

サイトへの道のりは非常に不確定です。それが重要であるのは抽象とサイトの間に深淵が、そしてある種の忘却があるためなのです。あなたはそこであるハイウェイに乗るかもしれない。しかしサイトへと続くハイウェイは、実際にはあなたが大地と関係を持つことがないために、まさにそれは抽象であるのです。【註1】
ロバート・スミッソン


 1969年2月、ニューヨーク州イサカに位置するコーネル大学にて、「アース・アート」展と題された展覧会が開かれた。ロバート・スミッソンはこの展覧会に際してある計画を実行する。「カユーガ岩塩坑プロジェクト」。それは二つの作業からなっていた。まずコーネル大学の北部、カユーガ湖畔に望むカユーガ岩塩会社の坑道において、その場の鉱物と鏡による構成作品を制作する。続いてコーネル大学のアンドリュー・ディクソン・ホワイト美術館では、坑道から採取してきた岩塩を使って当地での制作が「再現」された【註2】。このプロジェクトによって、スミッソンがこれまで行ってきた制作活動の理論的方途はより深化されることとなったのである。それはスミッソンが語る「サイト(site)」と「ノン‐サイト(non-site)」を繋ぐ、鏡による弁証法である。

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「EARTH ART」展カタログ。
大地(EARTH)の中にアート(ART)が含みこまれることを暗示するデザイン。

 
 本論で採り上げる《コーナー・ピース》は、この展覧会で複数制作されたギャラリー作品のうちの一つである。当時訪れた多くの来館者は、この美術館に展示された作品から初めてスミッソンのプロジェクトを知ったことだろう。この展覧会は、その異色さ故に展覧会のタイトルがそのまま出品作家たちに帰属することとなったほどの、いわば彼らの分岐点を示している。我々はそのうちの一つを精査することで、スミッソンの分岐点を検証し、彼の思考の樹海に分け入ることとしよう。

 《コーナー・ピース》は三枚の正方形の鏡を正立方体に組み上げるようにしてできた不完全なキューブであり、その内側のコーナーに坑道で採取された岩塩を積み上げるという、極めて簡素な構成をしている。岩塩は実際には円錐の四分の一を成しているが、岩塩が接する鏡の反映によって補完され、堆積物の形態は完全な円錐として我々に認知される。しかし鏡の反映とは物質に衝突することで照り返された光によって生み出されるために、反映が繰り返されるたびに光度が減退し、現実の岩塩に比べると多少の劣化が伴うことになる。この劣化は否応なく我々の知覚に影響を及ぼし、鏡の表面の境界線で区切られた4区画は各々の差異を強調するのである。鏡の反映によって生み出された堆積物と補完された堆積物の部分間の差異、この両者は「再現(re-presentation)」における二つの側面を描き出している。第一に、それが坑道において円錐状であったことを「指し示す(designate)」ことで外界の場所を再現する。第二に、なおもこの作品は鏡の反映によって造りだされた人工物であるという意味で、再現的である。だがそうなると、ギャラリーの作品はオリジナルである岩塩坑に対するコピーでしかないということになりはしないだろうか。これにスミッソンは何と応えるだろう。

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岩塩と鏡像の反映関係。
濃くなるほど反映の回数は増えていく。


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実際にコーナー・ピースを制作して検証した。
(鏡のサイズは一辺が14cm)



 「〈ノン‐サイト〉の状況はこの坑道のようには見えない。それは抽象なのです」【註3】。ここでスミッソンは二つの提起をしている。一つ目は、この一連のギャラリー作品が〈ノン‐サイト〉であること。二つ目は、それが抽象としての坑道であることである。〈ノン‐サイト〉に対する回答は、スミッソンの言う「抽象としての坑道」を考察することでその一側面なりとも明らかになることだろう。ではスミッソンの意図する抽象とは何か。彼は「美学における痛ましい誤謬」というエッセイの中で、鑑賞者を包み込む「場」を設定することで作品に感情移入させるような、フォーマリズムの言説が依拠した「抽象」を批判していた【註4】。再現と安易に結び付けられる写実とを選り分けながら、スミッソンはそこでルネサンス以降続く「擬人的手法による人文主義」にたいするアンチテーゼとしての抽象を思考している。そこで彼が参照したのがヴィルヘルム・ヴォリンガーだった。この美術史家は自然を再現した絵画の鑑賞において、その内部に積極的に自己を投影する「感情移入」に対置する形で、抽象を生み出す「抽象衝動」を設定した。それは自然の混沌たる状態の脅威を直線や曲線の幾何学的図形に置き換えることで、必然性と合法則性の価値を与え、安定を図る衝動である【註5】。スミッソンはこの抽象の概念を適用して、地図という例を挙げる。つまり、地図とは特定の場所を線や図形によって抽象的に、簡略化(圧縮)して置き換えたものだからである。厳密な境界線を把握できなかったあの山並みは、地図上で抽象的な三角形、もしくは等高線となって我々に示される。一方で我々が地図を参照するとき、そこに描かれている一つの点、線、図形を現実にある場所に置き換えることで、だが実際には視野の限界によって取りこぼされてしまう周辺の領域をも含みこんだ場所として、抽象的に把握する。スミッソンがしばしば述べる「コンテナ(container)」は、この周辺を含んだ抽象的な場所を指している【註6】。もはや伝統的な「再現」の形式からは遠く隔たっていることがわかるだろう。

 とはいえ視点をずらせば、地図とはある一定の限界を設定されたものでもあることになろう。「〈ノン‐サイト〉の箱組みは、直線で囲まれた体勢を課すために使われたし、また関係の限界設定にも使われていた」【註7】からである。スミッソンは地図、鏡、写真それぞれにおいて、矩形の枠組み(framing)によって一定の限界が設定された事物を重視した。この枠組みは物質としての支持体、つまり紙、ガラス、印画紙という物質の有限性によって制限・構成されている。ただし、これは芸術作品に必要不可欠な前提である額縁や台座といった、外界から隔離して作品を規定するという意味での枠組みの機能ではない。すでに作品構成で見たように、ギャラリーで展示される個々の箱組みは独立した作品として自律しているのではなく、「カユーガ岩塩坑プロジェクト」という大きなまとまりの中で初めて作品と呼びうるのである。したがってスミッソンの用いる枠組みは、作品の内部に存在することになろう。彼が場所の選択をする際には、ほぼランダムに、無軌道な遊歩によって選択される。作品制作と物質の採取は選択された場所において成されるが、場の選択自体は蓋然的で、一つの可能性の結果でしかない。それ故選択されなかった場所もまたその限界設定の枠の中に含みこまれることになる。こうした一連の作業がスミッソンの語る「サイト」であり、それに対置された美術館での展示作品においては、その全体を内包する形で、三次元の隠喩として機能する抽象化された地図となった。これが「ノン‐サイト」である。

 多くの対立項を設定したスミッソンは、この「カユーガ岩塩坑プロジェクト」において新たな段階に入る。以前までは別々に設定されてきた「サイト」と「ノン‐サイト」の間に「/(スラッシュ)」を入れることによって包含し、概念をより整理させた。いわば対立項を生み出す、そして両者を分断する概念的な鏡を挿入したのである。スミッソンは「サイト」と「ノン‐サイト」以上に、この切断面に注目した。美術館の展示作品を鑑賞するとき、我々は鏡の反映がもたらすこの抽象的な地図を頼りに、積み上げられた物質(それは主に岩塩や砂利である)が示す、不確定で抽象的な場所へ向かってスラッシュの境界を飛び越える。二つの場の間を「旅行する(travel)」ことはそれ自ら隠喩として機能し、その移動を観者が経験するとき、「travel(空間的移動)」は「trip(知覚・認識的移動)」となるだろう。その仕方は一種の「忘却(oblivion)」である。この旅行においては時間も空間も意識にない状態のまま、我々の認識において「サイト」と「ノン‐サイト」との間の不断のずれをなし崩しにしながら高次元の空間を跳躍する。ほどなくして当地に向かった航空機が帰途に着くとき、我々は美術館という室内空間にいながらにして「サイト」を「特殊な場(specific site)」として置き換えるのである。

 結局スミッソンが設定した弁証法とはなんだったのか。ヴォリンガーにおいては「抽象」と「感情移入」という対立は互いに異なる「自己放棄」においてそれぞれ幸福のあり方(内的と外的)が示されていた。スミッソンにおいても〈サイト〉と〈ノン‐サイト〉を往復する仕方は一種の「忘却」であることは先述のとおりだが、統合(synthesis)によって安定をはかるというよりもむしろ、分断を生じさせた概念の鏡が深い闇の谷間を覗かせたまま維持され、無限の往還運動を駆動させるのである。《コーナー・ピース》において、物質とその反映の間に存在する鏡の表面による分断線は、両者の差異を強調しながら岩塩の中心に位置する収束点で臨界を迎える。この垂直に伸びるポールから我々は逃れることができない。試しに円錐の全貌が見える位置からこの抽象である〈ノン‐サイト〉を眺めてみるといい。鏡の高さに制限があるために、一見この作品には我々の身体は映りこまない。わずかに足先が見える程度だ。しかしこの円錐をよく眺めてみようと屈みこんだ瞬間、反映である第二の自分を発見する。たいてい人は自己の鏡像を見て初めて、映りこんだ周囲の環境が仮象であることを認知するが、自分の姿だけは同一化しようと試みる。だがこの作品においては、どのように動こうとも我々の視点はこの垂直線を中心に据えてしまう。そして反映によって映し出された我々の身体もまたこの垂直線によって左右に分割され、視覚による自己同一化の作用を執拗に解体し続けるだろう。さらに鏡の第三面によって地上から浮き上がったこの円錐は、反映によって結晶体として一つの世界を作り上げ、ポールに捉えられた者たちをかの地にそびえる第二のポールへと誘うのである。スミッソンの賭けとは、限界設定を設けられた空間をいかに拡張するか、ということだった。その仕方は、固化された視覚認識に揺らぎをもたらすことによってなされなければならない。「見るという無力さを再現(reconstruct)しようではないか」【註8】。このスミッソンの提案が意図するものは、カユーガにおいて展開されたプロジェクトを通して《コーナー・ピース》のみならず、それを取り囲んでいるホワイトキューブの空間を我々の認識において拡張させる試みでもあった。全く異なった二つの地を転置することによって作動する「〈サイト〉/〈ノン‐サイト〉」というバイ・ロジック(複論理)は、我々の視覚を組み替え続ける弁証法的な装置なのである。

私は、鏡とはある意味物質的な鏡と反映の両方であるために鏡を使っています。つまり、概念としての鏡と、抽象としての鏡です。さらに言えばこの概念の鏡の内部にある現実としての鏡です。だからそれは他の種類の収容された、散在する観念からの出発なのです。しかしいまだ二つの場所の間の二極のまとまりは維持される。ここで〈サイト/ノン‐サイト〉は概念としての鏡――反射、弁証法である鏡によって包含されるようになるのです。【註9】



―――――――――――

1. Robert Smithson, “Fragments of a Conversation.” William C. Lipke ed., 1969. in: Robert Smithson: Collected Writings. Jack Flam ed., Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1996, p. 190.
2. Gary Shapiro, Earthwards: Robert Smithson and Art after Babel. Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1995, pp. 94-97.
3. Smithson, 1969a, op., cit, p. 190.
4. Robert Smithson, “The Pathetic Fallacy in Esthetics.” 1966-67. in: Robert Smithson: Collected Writings. Jack Flam ed., Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1996, p. 337.
5. ヴォリンゲル著、『抽象と感情移入』、草薙正夫訳、岩波書店、1953年、39頁。
6. Smithson, 1969a, op., cit, p. 190.
7. Smithson, “Interview with Robert Smithson.” Paul Toner and Robert Smithson ed., 1970. in: Robert Smithson: Collected Writings. Jack Flam ed., Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1996, p. 234.
8. Robert Smithson, “Incident of Mirror-Travel in the Yucatan.” 1969. in: Robert Smithson: Collected Writings. Jack Flam ed., Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1996, p. 130.
9. Smithson, 1969a, op., cit, p. 190.

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2009年09月06日

時計

しかし、機械がもはや驚異をではなく、有用性と進歩とを意味するようになると、時計もまた人間を支配する過酷な《時間》の歯車となる。おそらく、機械がテクノロジーのシンボルとして完成するのはこのときであろう。

宮川淳「手の失権 シンボルとしての機械と手工的な思考」
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2007年02月24日

コダクロームの妖術

アマゾンの森の野蛮人たちよ、機械文明の罠にかかった哀れな獲物よ、柔和で、しかし無力な犠牲者たちよ、私は君たちを滅ぼしつつある運命を理解することには耐えて行こう。しかし、貪欲な公衆を前にして、打ち砕かれた君たちの表情の代りにコダクロームの写真帳を振り回すというこの妖術、君たちの妖術よりもっとみすぼらしいこの妖術に欺かれる者には決してなるまい。


クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
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2006年12月25日

セビリアのエンヴェゾー

いまグローバル社会を襲う多種多様な暴動や大変動に対して、アートはいかなる策を施せるのか?昨今の諍いに対する簡素で力強い芸術的仲裁のための挑戦は、保証でもなく、イリュージョンでもなく、ましてや感傷でもない、批評的で想像力に飛んだ活動への機会として見えもするだろう。だが多くのアーティストたちにとって、仲裁のモードはもはや批評的正当化の保証にはならず、そんなものは社会の中に芸術を位置づけることに何の批判もなく必要だと再度主張するか、いまの世界情勢から、厳密な自律性をあらためて導き出すことでしかないだろう。


オクウィ・エンヴェゾーがセビリア・ビエンナーレでやったことは、上記のような問題提起からだった。では実際どのような手法で展示を行ったのか?
近々いずれかの場所でその内容を掲載します。
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2006年06月18日

ベンチとカタログ

1968年にMoMAで開かれたグループ展、「The Art of the Real」がイギリスに巡回したときのお話。

あるスコットランドの批評家が、「モリスさん、ごめんなさい。僕はベンチだと思ってしまって!」と自分がロバート・モリスの作品に座ってしまったことを皮肉たっぷりに書き連ねた。これにジェームズ・マイヤーは、作品の狙いとして「座る」ことが組み込まれているにもかかわらず、この批評家は理解できなかったと、これまた皮肉をこめて述べている。

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なにかデュシャン的、いやウォーホル的な化かし合いの一例にも見えるこのエピソード、もちろんそういう意味合いはあるのだけれど、この批評家が作品だと気がついたのは、展覧会カタログを見たから、という点がミソ。カタログは一種の認知のための装置として、この批評家には働いた。

たしかに、展覧会カタログは展覧会そのものよりも、作品を厳密に規定する。なによりも写真と頁が作品の限界をある程度設けているのだから、当然か。展覧会会場ではキャプションが同様の機能を担っているわけだけど、観者にとってまず最初に目にするものじゃない。「このキャプションが指している作品ってどこにあるの?」なんて事態はままある話で、結局わからないからいいや、とスルーしてしまう。そして、買ってかえったカタログを見返したときに「ああ、あれ作品だったの」と記憶を辿る。いや、現実はもっと残酷かもしれない。「こんなの会場にあったっけ?」。

デリダが「パレルゴン」と言い、ジュネットが「パラテクスト」なんて名付けて問題にした、付属物の機能。ただ、それらは事後的に機能する、という意味での重要性なのかもしれない。それまではおそらく規定していなかったものが遡及的に規定の機能を得て、もういちど活性化される。表象(re-presentation)、つまり再出現はこのようにしておこって、失われた対象を言葉によって復元しようとする。すると僕らのなかで存在=作品としての判断がようやく完成されることになる。

スコットランドからやってきた批評家は、カタログから事後的に、作品として認知した。しかし、それはダダ的なトリックとして、である。どちらにせよ、モリスの作品を現象学的に経験するなどとはつゆにも思わなかっただろう。もっと不幸な例はジョン・マクラッケンだ。モリスはまだベンチとして使われていたが、厚板を壁に立てかけるマックラケンの作品は、ギャラリー・スタッフに資材と勘違いされて倉庫行きとなってしまった。だから当時のイギリスの人々にとって、マクラッケンはカタログでのみ存在する作家である。

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2006年05月08日

automation (Re:)

たとえばオートマティスム。
たとえば即興性。
たとえばハプニング。
たとえばコンセプチュアリズムの写真利用。
たとえば無名性。
たとえば絶対非演出の絶対スナップ。
たとえばドロッピング・プロジェクト。

これらの差異はいくらでもあげられる。
しかし共通項はなんだろう?
作者の死か?偶然性か?外部性か?

私にはすべてオートメーションに見える。
つまりなんらかの機械神話の痕跡。
霊的な何かや、無意識の表出なんて代物じゃない。

アートは、アルスを語源として技術と不可分の存在だった、という。
20世紀、技術者の能力は熱狂のもとに人間から神へと移譲された。
それは一方でファシズムの根幹に触れていないだろうか。
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2005年12月09日

アレゴリー消滅

アマゾンから注文していたダグラス・ゴードンの『The VANITY of Allegory』が届いた・・・のだけれど、箱が潰れていた。しょっく。確かに紙の箱だし、上に何か重いものを乗せられて潰れたのだろう。箱とはいえ、これは展覧会カタログという書籍扱いになるから、しょうがないといえばしょうがない。だけど、なんともやりきれない!!納期が遅れただけに、アマゾンに文句言ってやりたい。

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2005年10月29日

ピンチ!

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「これじゃ戦えないよ」

何でこんな状況に!?
いったい何と戦っているのか?
そしてなぜ戦っているのか?
ねずみとは誰か?

・・・

ルイーズ・ローワー、コレクションされた美術作品の行方を追い続けた、
提起型アートの作家。
彼女は80年代から本格的に活動を始めている。
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2005年10月23日

日本の建築家

もしかしたら、日本の芸術界隈で今一番もりあがっているのは建築かもしれない。

妹島和世と西沢立衛9月末、僕らの耳に飛び込んできたのは、仏北部ランスに建設予定のルーヴルの別館、通称「ルーブル・ランス」のコンペを妹島和世と西沢立衛の事務所「SANAA」が勝ち取り、設計担当となったというニュース。フランスでも女性が公共施設の設計をするのは初めてらしい。08年末に完工して09年に開館予定というから今から楽しみだ。そういえば先日あるギャラリーで岡部あおみさんにお会いしたときに、今注目するアーティストは、と尋ねるとまず妹島の名が出てきたのが印象的だった。確かにご主人が建築家でフランス生活が長いという事情もあったのだろうが(くわえて妹島が女性、というのもある)、それを加味しても妹島の活躍はめざましい。金沢は今年の夏に行ってみたのだが、今までの美術館のイメージからかけ離れている感じがした。円筒形の外観にキューブ状の部屋がつめ込まれている構造になっているけれど、幸か不幸か方向感覚が把握しづらくなっているようだった。とはいえ、円形ガラスの壁面は確かに美しい。中心部分の空間は、どこか植物園を思わせるものだった。

金沢21世紀美術館内

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2005年10月14日

ベイコンピカソ

知人に「Bacon Picasso」の小冊子をもらった。
今年3月から5月末までピカソ美術館で開かれていた展覧会だ。

この冊子は「Reunion des Musees Nationaux」から出ているもので、
運営館の展覧会を紹介しているのだそう。

この機関、パリにある複数の国立美術館が共同運営している
出版団体で、運営館の展覧会カタログは皆ここからでている。
そういう仕組みは、美術館が多いフランスならではだと思う。

bp.jpgベイコンとピカソを比較したこの展覧会は、今まで指摘されながらも特に採り上げられてこなかった二人の画家を、本格的に検証したものだ。

正式な展覧会カタログは、残念ながらまだ手に入れていない。
採算ベースに合わないためにアマゾンなどでは手に入らないのだ。

もう会期が終了してかなり経つ。
おそらく本国にも在庫はほとんどないだろう。

なんとしても手に入れたい一冊だ。
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2005年10月11日

睡蓮のように

それは、一種の「輪郭ノ色彩」であり、気持ちの悪い絨緞(じゅうたん)というよりはむしろ睡蓮に近い。

bacon63.jpgドゥルーズにはそう見えたという。画家フランシス・ベイコンの《男と子供》に描かれた絨緞である。ドゥルーズは塗りの面(プラン)と線描が一体となった、絵画に秩序をもたらす「輪郭」を重視した。睡蓮は湖底の泥の中から茎を伸ばし、水面に一輪の「輪郭」を咲かせる。そして昼に花開き夕闇が迫ると花弁をたたむ。まるで眠るように。

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