2011年09月10日

楽園の島


マルチン・ベハイム(1459-1507)の作成した地球儀の中には聖ブレンダヌス島と呼ばれる島が描きこまれている。その島が位置するのは南北アメリカ大陸があるはずの場所で、まわりには大陸とよべるほどの陸地はみられない。あるのはただ洋々と広がる大海と、西方にこの島を見つめるようにして浮かぶ「チパング(Cipangu)」と記された四角い島、そしてその周りに転々と散らばる群島しか目に付くものはない。もちろんこのチパング島は後にジパングと呼ばれる日本を指している。この大洋に浮かぶ聖ブレンダヌス島は、当時すでに地図上の場を失いつつあった楽園を意味していた。

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この時代(15世紀末)には、中世のころ隆盛した、キリスト教を基礎とする地理学はほぼ後退していた。以前の地図は東を上にして描かれ、中心はエルサレムとするのが常だった。その他にバベルの塔、プレスター・ジョンの王国、そしてどこかにあるとされる地上の楽園が描きこまれていることが多い。

地上の楽園とはアダムとイヴが暮らしていた地であり、彼らが追放された後もどこかに残されているはずだと、中世の人々はその想像力を働かせてさまざまに描いている。要塞に囲まれた島であるとか、エルサレムの東に位置するとか、いくつか幅はあるものの、楽園は存在するということでは一致していた。それが陰りを見せ始めるのは羅針盤などの航海具が発明され、はるか遠方まで航海が可能となったこの時期ごろからである。

ただ楽園の記述は完全に姿を消すには至らない。それは形を変えて存在し続けるのである。その名残がこの聖ブレンダヌス島であるとも言える。聖ブレンダヌスとは6世紀末に死んだアイルランドの修道院長で、彼のスコットランドへの旅行記が伝説化されて、多くの幸福の島々を巡る物語として当時広く流布していた。この物語から彼の島は16世紀の地図には数多く登場する。ベハイムの地球儀も、現在の形に近い地球儀とはいえ、その例外ではなかったのである。



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2011年05月04日

再会

数年ぶりにブログに復帰してみようとこのサイトに戻ってきてみたら、ちゃんと残っていてびっくりする。
そして投稿記事を戻れば戻るほど気恥かしい。
けれど、それはそれで自分の軌跡だから残しておこうと思う。

あれから何が変わったかといえば、状況もいろいろ変化したけれど、
一番変わったのは自分かもしれない。そして一番自分が変わっていない。
そう思う今日この頃。
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2006年04月07日

くじら構文

中学時代、どうしてもわからない英語の構文がありました。それは、いわゆる「くじら構文」。

A whale is no more a fish than a horse is.

別に構文自体が分からないんじゃないんです。例文が分からないんです。「馬が魚じゃないように、くじらは魚ではない」。ここで馬とくじらが比べられているのがどうしても納得いかなかった。

たぶんこれは範疇論の問題なんだろうけど、くじらが魚の形状に類似しているにもかかわらず「哺乳類」であることを、私たちは予め知識として知っている。だから馬と比較されても問題がないんだろう。

だけど、「馬が魚じゃないように」という具体例をあげていることからすると、どうもくじらが魚じゃないことを知らない人に、わかりやすく説明しているように聞こえる。少なくとも中学生の私にはそう聞こえた。前提を知らない人に、馬とくじらを並べて「ほら、魚じゃないでしょ」と言ったところで納得するだろうか?

一体誰が最初にくじらと馬の例文をつくったんだろう。そして何でそれが「くじら構文」と言われるほど定着したんだろう。それはいまだに謎です。
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2006年03月27日

ロボットとアニメの関係

ロボットとアニメの関係。唐突だけど、意外に近い関係にある。ロボットの起源、なんて話に決まって挙げられるのは童話作家カレル・チャペックで、人間に従順な機械人形を指してそう呼んでいる。チャペックがチェコ語の「robota(賦役)」から「a」をとってロボットと名づけた一方で、手塚治虫は『火の鳥 復活篇』の中で、チェコ語そのままの「ロボタ」を家事ロボットとして登場させている。まさに労働力として使役されることを示している。

でも今問題にしたいのは、じゃあ現実にロボットを作った場合にはどうなるの?ということ。「アンドロイドは電気羊の夢を見る?」のかどうかは今回扱いません、あしからず。私のいとこはロボット工学を専攻していて、今ロボット開発の会社で働いているんですが(彼女は大学で空圧制御のプログラムを組んでフルートを吹く人型ロボットを開発していました)、そんな姿を見ているだけに、よくSF小説などで登場する高度に発達したロボットが存在する世界よりも、それがいかに作られるかってところに、手塚治虫なんかを読んでいて思っていたわけです。

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2006年01月22日

とける雪と思いはめぐる

窓から外を眺めるとすっかり雪が積もっていた。
ああ、寒いわけだ。

時計は7時を指していた。
身支度をし、タバコを持って外に出る。
コンビニでコーヒーを買い、
行く当てもないのに車に乗り込んだ。

エンジンをかけてアイドリングをする。
誰かが僕の前に現れて、
「アイドリングはいけません」と
言いにくるかもしれないな、
と思ったが、
この雪の最中にそんな奇特な人はいない。

雪の日は思考がめぐる。
徐々に温まる車内、
それにつれて融けだす雪。
そのしずくを目で追いながら、
今の状況をつかみとる。・・・
頭に思考の火線が駆けめぐる。

エンジンの振動だけが音楽。
タバコの煙は演出か。

いけない、感情は有害だ。
今いちど判断力批判を。
鮮やかなスペクトルの中の、
一条の暗線を信じよ。
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2006年01月01日

謹賀新年

明けましておめでとうございます。
今年はたぶん、転機になるかもしれません。
いや、そうしたい、そして良い転機を、と願って。
昨年は大変お世話になりました。
引き続き今年もArtopeをよろしくお願いいたします。

Sai
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2005年12月16日

中間地帯

シンメトリーの重要性は、右にも左にもない。おそらく、軸。そこにある。
鏡の構造と同じく、シンメトリーを発生させる厚さのない薄膜。

やはりそこにとどまり続けるべきだ。
遠回りだろうと、今、この場を見続けること。
合理性と超越性、そのどちらにも関わり、そのどちらでもないもの。

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2005年12月14日

思うことと言うことと行うこと

何かを考える。
――――――――
それを言葉にする。
――――――――
そして実行。

この三つの間に横たわる差異は結構大きい。
時間も、変質も、環境も。

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2005年11月23日

つれづれ

 朝、久々に夢の記憶が残っていた。ある晴れた日。板敷きの道場で延々とでんぐり返し。ふいに坊主が現れ、活をいれる棒(警策「きょうさく」)で真剣に床をたたいている。外では叫び続ける季節はずれのホトトギス。「ボーヲゲギョ!!」。それはおよそ悲鳴に近い。君は叩かれちゃいないんだよ…。

 昼間、作業をする合間に美術手帖の最新号を読む。今月はダンス特集。「こども身体」を語る松井みどりがいた。コントロールされない未分化な身体。それが90年代以降のポストモダン的現代アートだという。混沌とした状態から生起する新しい芸術の形。予想通り登場するドゥルーズの「生成変化」という言葉。村上隆、小沢剛、アルトー、土方巽。うぅむ、なにか解せない。一体なぜだろう?

 少し前からパースの『連続性の哲学』を読み始めている。ある人との会話の一助となるようこの本を選んだ。一般にはプラグマティズムと呼ばれる考え方をもつアメリカ思想家の一人。推論に対する考察が面白い。

「人間の推論一般の素晴らしい性質とは、推論は基本的にそれ自身を訂正する性向を持っており、推論が賢く計画づけられていれば、それだけその可能性も大きいということである」。

 下線部分をどう展開するのか、続きが気になってきた。

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2005年11月14日

風邪/Basel/クレー/マルチチュード

先日から風邪を引いております。
が、昨日一日寝ていたんでおそらく大丈夫でしょう。

********

今日の「世界の車窓から」はスイスの国境街バーゼルでした。
昨年5月末に行って以来、久々に街を見ました。

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2005年11月04日

エントロピーとシャノン

エントロピーを調べていて、情報理論の創始者クロード・シャノンにたどり着いた。彼は記号論と数学を組み合わせて当時計算しかできなかったコンピュータに論理演算を導入した人。今ではピンと来ないけれど、1930年代のコンピュータは10進法で設計されていたらしい。だがシャノンの修士論文『A Symbolic Analysis of Relay and Switching Circuits(継電器とスイッチ回路の記号論的解析)』(1936)でスイッチのオン・オフが記号論における真・偽に対応することを指摘して、コンピュータに2進法を組み入れることを提唱した。

なんだか面白い話。僕は少し誤解していたところがある。よく人間の思考とコンピュータの類似性が取り上げられているけど、コンピュータの創成期に組み入れられた2進法は、人間の価値判断である真・偽による二項対立がモデルだったなんて。偶然ではなくちゃんとした起源があったわけだ。

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2005年10月23日

蟲師(むしし)

アフタヌーンで連載している『蟲師』のTV放映が始まった。連載当初から読んでいる漫画だが、これが結構面白い。淡いタッチに、独特の間(ま)。蟲(むし)は昆虫などではなく、生命体系の根幹部分に分類される生命体という設定。だから幽霊のように(もしくは妖怪のように)見える人と見えない人がいるし、その種類は昆虫並みに多い。日本的アニミズム、と言っていいのかもしれない。『蟲師』はそんな蟲の専門家である蟲師が活躍する物語だ。

mushishi.jpgおそらく時代は大正時代をベースとした架空の世界で、舞台は木々がうっそうと生い茂る山岳地帯。というわけで平野はほとんど出てこない。半ば「もののけ的」な魅力をもつお話だが、宮崎アニメのような少年少女が夢想する夢ではない。どちらかといえば、森の静けさをたたえ、ほの暗い闇が迫るように一瞬ぞくっとさせられる、そんな夢だ。一話完結が基本で、悲しいお話もけっこうある。恋人が蟲に引き寄せられて人の形を保てなくなったり、死んでしまったりする。だが登場人物たちはみなその運命を受け入れるように、過激な抵抗はあまりしない。見ようによっては歯がゆい気分になるが、それがこの物語の「味」でもある。読むたびに切なくなるのがむしろいい。

漫画のアニメ化はたいてい二番煎じで面白くないが、その中でも『蟲師』はクオリティーが高かった。あらすじが分かっていても、毎週見てもいいと思わせる出来栄え。お勧めです。

※『蟲師』はフジテレビ系列で毎週土曜27:45(午前3時45分)から。
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2005年10月19日

カレル・チャペック・スウィーツ

吉祥寺から五日市街道に向かい、
そこから成蹊大学がある方向へ少し行くと、
「カレル・チャペック・スウィーツ」にたどり着く。

capek01.jpg

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ガラム・ヌサンタラを吸う

先日の飲みでは色々お土産をもらったんだけど、
その中にガラムもあった。

ガラム、正式にはグダン・ガラムというらしい。
意味は「塩の工場」。
創業者が塩の(ガラム)工場(グダン)跡を買い取って、
そこでタバコを作ったことから、とのこと。
早速吸ってみる。

「ケレテック(ぱちぱち)」と箱の下に書いてある通り、
ほんとに火をつけるとパチパチと火花が散る。

のど越しはさわやか、
だけど強く吸うとひりつくような軽い刺激がくる。

匂いが独特。
確かにどこか東南アジアを思わせる香料の匂い。

喉にひりつくタバコは今まで敬遠してきたんだけど
(例えばラッキーストライクとか)
音が出るところが吸う楽しみを増してくれるし、
うまく吸えばおいしい。
そんなインドネシアのタバコです。

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2005年10月18日

買うか迷う一冊。

さいきん書店で立ち止まってしまう本がある。
「きょうの猫村さん」。
ホシイ!
この微妙な描写のネコ、好きです。

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でも値段1200円を見て迷う。
む〜猫村さん高いよ〜。

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結局まだ買ってません。だれかジャッジしてくれ!
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2005年10月17日

胃もたれ肝兵衛

昨日は久々に飲みすぎました。
7時ごろから飲み始めて結局朝6時近くまでえんえんと飲み続ける。
ほぼ半日飲んだことになるな。
でも起きがけに少し胃にもたれを感じた程度で頭痛ナシ。
だんだん昔の感覚が戻りつつあるのか?

飲み相手に夏旅行のお土産をもらう。
インドネシアとチベットのお土産。
10本入りのマールボロライト(メイド・イン・マレーシア)、
そしてYungchen Lhamoというチベット歌手のCD。
不意にお土産をもらうと、
元値以上の何かをもらった感覚になる。
これが贈与ですか?
ともあれ、お土産を買ってきてくれたことが何よりもうれしい。

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2005年10月13日

Konig(ケーニヒ)から

久々にバイト先に行ったら、ドイツからダンボールがたくさん届いた。
Walter Konigという出版社からだった。
いろんな本があったが、大半がドイツ語やオランダ語で人名の読み方が分からない。分かるものといえば、アウグスト・マッケ、ピーター・ドイク、ロイ・リキテンスタイン程度。
世界は広い。いろんな地域で、みんないろんなことをしている。
…バーゼルのバーで働いているドイツ人のあの子、
今頃何しているだろう?

そういえば、最近よく「Peter Fischli/David Weiss(ピーター・フィッシュリ/デヴィッド・ヴァイス)」という名を目にする。少し前にファイドンのコンテンポラリー・アーティスト・シリーズからも書籍が出ていたし、注目されているアーティストのようだ。



もうすぐゴダールの新作『Notre Musique(邦題「アワーミュージック」)』が公開される。といってもこの作品は2004年のものだという。なんだかダンテの『神曲』みたいに、三部構成になっているのがちょっときな臭い。とまれ、たぶん見るでしょう。
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2005年10月10日

ARTOPE【アルトープ】

勝手ながら「KAI-SAI ART」から移設しました。
新ブログ名は「ARTOPE【アルトープ】」になります。
「Art」とギリシャ語の「Topos」からなる私の造語です。
「Art」は英語では「芸術」ですが、ドイツ語【アールト】では「流儀、やり方」、また「種類」という意味を持っています。
「芸術を採り上げる場」と「私のやり方でとりあえずやってみる場所」のような感じです。

これからもよろしくお願いします。
                 sai
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