『AVALANCHE』1974年12月号
■1974年5月21日火曜日、ゴードン・マッタ=クラークはニュージャージー州イングルウッド、フォンテイン・サービスにおいてリザ・ベアーと対談を行った。この対談はその後ハンフリー・ストリート・ビルにて継続された。
GM-C:ホリーとホラス・ソロモン夫妻は三月にハンフリー・ストリート・ビルを私に与えてくれました。ラカワナ路線近くのベッドタウンにある、寂れた住宅です。ここの集落(コミュニティー)は点在しながら始まりましたが、人々は自らの不動産を売って、再開発のためにこの都市の土地所有権を買い占めました。今は牧草がよく生え変わる時期になっています……この地域はほとんど南部の気候と同じで、あらゆるものはそのように移り変わっているのです。ソロモン一家は当初は投資のためにその家を購入しましたが、いまでは取り壊されることが決まっています。私の中でもっとも明らかなことの一つは、このビルで行われる制作への興味がどのようにして起こったのかということです。それは私が112グリーン・ストリートの地下室に住み、異なったコーナーについての作品を制作していた、1970年という時代を前進させたのです。第一にそれらは結局構造に関係しているわけではなかった。私はそれまで建物の内部で制作をしていましたが、しかし徐々に全体として、一つの物質としてこの建物を扱いはじめました。私がそれを実践したうちの最初の一つは1971年のボストン美術館美術学校においてですが、この建物の内部にある一つのシステムとして、配管工事を漠然と意識して始めました。私は壁の裏側に回って線を引っ張ってくることによってガス線の一つを広げました。だからギャラリーには圧縮ガスの輪があったのです。そして私はストリートに戻るルートでガス線を追って写真を撮りました。だから、この断片もまた写真的拡張なのです。数年前フォース(第四)・ストリートに住んでいたとき、私はすでに建築全体を扱う観点から考えていました。初めは活動の性質が明確ではないように思われたのですが、徐々に全体の建築システムにつながる、様々な種類の局部に関係した論理的な連続性があったのです。
LB:私はいつも建築的な文脈の中での制作としてあなた(の作品)を考えていますが。
GM-C:厳密な意味での建築的なものとは違います。「建築的」暗示を持つと私が考えている事柄の多くは、実際には建築ではないもの(非建築)についてであり、一般に考えられている建築というものには収まらない何かについてなのです。アナーキテクチャー展は去年、112グリーン・ストリートで開かれましたが――ここでは特に強烈に表現されるということは決してありませんでした――、それは既成の建築用語よりも他の何かについてであり、それは何か形式的なものの中に固定されることのないものです。
(続く)