マルチン・ベハイム(1459-1507)の作成した地球儀の中には聖ブレンダヌス島と呼ばれる島が描きこまれている。その島が位置するのは南北アメリカ大陸があるはずの場所で、まわりには大陸とよべるほどの陸地はみられない。あるのはただ洋々と広がる大海と、西方にこの島を見つめるようにして浮かぶ「チパング(Cipangu)」と記された四角い島、そしてその周りに転々と散らばる群島しか目に付くものはない。もちろんこのチパング島は後にジパングと呼ばれる日本を指している。この大洋に浮かぶ聖ブレンダヌス島は、当時すでに地図上の場を失いつつあった楽園を意味していた。
この時代(15世紀末)には、中世のころ隆盛した、キリスト教を基礎とする地理学はほぼ後退していた。以前の地図は東を上にして描かれ、中心はエルサレムとするのが常だった。その他にバベルの塔、プレスター・ジョンの王国、そしてどこかにあるとされる地上の楽園が描きこまれていることが多い。
地上の楽園とはアダムとイヴが暮らしていた地であり、彼らが追放された後もどこかに残されているはずだと、中世の人々はその想像力を働かせてさまざまに描いている。要塞に囲まれた島であるとか、エルサレムの東に位置するとか、いくつか幅はあるものの、楽園は存在するということでは一致していた。それが陰りを見せ始めるのは羅針盤などの航海具が発明され、はるか遠方まで航海が可能となったこの時期ごろからである。
ただ楽園の記述は完全に姿を消すには至らない。それは形を変えて存在し続けるのである。その名残がこの聖ブレンダヌス島であるとも言える。聖ブレンダヌスとは6世紀末に死んだアイルランドの修道院長で、彼のスコットランドへの旅行記が伝説化されて、多くの幸福の島々を巡る物語として当時広く流布していた。この物語から彼の島は16世紀の地図には数多く登場する。ベハイムの地球儀も、現在の形に近い地球儀とはいえ、その例外ではなかったのである。
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