2006年06月18日

ベンチとカタログ

1968年にMoMAで開かれたグループ展、「The Art of the Real」がイギリスに巡回したときのお話。

あるスコットランドの批評家が、「モリスさん、ごめんなさい。僕はベンチだと思ってしまって!」と自分がロバート・モリスの作品に座ってしまったことを皮肉たっぷりに書き連ねた。これにジェームズ・マイヤーは、作品の狙いとして「座る」ことが組み込まれているにもかかわらず、この批評家は理解できなかったと、これまた皮肉をこめて述べている。

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なにかデュシャン的、いやウォーホル的な化かし合いの一例にも見えるこのエピソード、もちろんそういう意味合いはあるのだけれど、この批評家が作品だと気がついたのは、展覧会カタログを見たから、という点がミソ。カタログは一種の認知のための装置として、この批評家には働いた。

たしかに、展覧会カタログは展覧会そのものよりも、作品を厳密に規定する。なによりも写真と頁が作品の限界をある程度設けているのだから、当然か。展覧会会場ではキャプションが同様の機能を担っているわけだけど、観者にとってまず最初に目にするものじゃない。「このキャプションが指している作品ってどこにあるの?」なんて事態はままある話で、結局わからないからいいや、とスルーしてしまう。そして、買ってかえったカタログを見返したときに「ああ、あれ作品だったの」と記憶を辿る。いや、現実はもっと残酷かもしれない。「こんなの会場にあったっけ?」。

デリダが「パレルゴン」と言い、ジュネットが「パラテクスト」なんて名付けて問題にした、付属物の機能。ただ、それらは事後的に機能する、という意味での重要性なのかもしれない。それまではおそらく規定していなかったものが遡及的に規定の機能を得て、もういちど活性化される。表象(re-presentation)、つまり再出現はこのようにしておこって、失われた対象を言葉によって復元しようとする。すると僕らのなかで存在=作品としての判断がようやく完成されることになる。

スコットランドからやってきた批評家は、カタログから事後的に、作品として認知した。しかし、それはダダ的なトリックとして、である。どちらにせよ、モリスの作品を現象学的に経験するなどとはつゆにも思わなかっただろう。もっと不幸な例はジョン・マクラッケンだ。モリスはまだベンチとして使われていたが、厚板を壁に立てかけるマックラケンの作品は、ギャラリー・スタッフに資材と勘違いされて倉庫行きとなってしまった。だから当時のイギリスの人々にとって、マクラッケンはカタログでのみ存在する作家である。

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posted by jaro at 02:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 美術一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
上のような「コメント」のあとに書き込むと、同じくスパムだと思って無視されそうなので気がかりですが……。

ロバート・モリスの作品を文字通り身体的に体験した人は、ご指摘の批評家だけではなかったようです。モリスの初個展を開いたのは、ニューヨークの伝説的画廊グリーン・ギャラリーで、その(同じく伝説的な)オーナーだったのがリチャード[ディック]・ベラミー。いささか変わり者だったというのは有名な話ですが、彼は初めてモリスのアトリエを訪れた際、話題の作品(水平スラブ)のうえにゴロッと横になって小一時間昼寝をしたとのこと。もちろんこの場合はそれが作品だと知っての振る舞いですけど。

このエピソードは以下の記事で紹介されています。

http://findarticles.com/p/articles/mi_m0268/is_8_39/ai_75830852/print

また、問題の作品が前述の初個展で展示されたときの、ジョン・ケージとフィリップ・ジョンソンの反応についても書いてあって、これまた意義深い。まだでしたらご一読をお勧めします。
Posted by at 2007年05月21日 18:53
マクラッケンを検索してたら、たまたまアクセスしました。倉庫行きの話題、ありそうで面白いですね。李禹煥の『出会いを求めて』にも彼の作品が板の作品として、究極の作品として絶望的に紹介されていました。ここからどこに向かえば良いのか、。しかし、これがスタートラインだとしたら?
とりあえずご挨拶として。
Posted by 小沢隆次 at 2012年06月23日 22:14
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