2006年03月27日

ロボットとアニメの関係

ロボットとアニメの関係。唐突だけど、意外に近い関係にある。ロボットの起源、なんて話に決まって挙げられるのは童話作家カレル・チャペックで、人間に従順な機械人形を指してそう呼んでいる。チャペックがチェコ語の「robota(賦役)」から「a」をとってロボットと名づけた一方で、手塚治虫は『火の鳥 復活篇』の中で、チェコ語そのままの「ロボタ」を家事ロボットとして登場させている。まさに労働力として使役されることを示している。

でも今問題にしたいのは、じゃあ現実にロボットを作った場合にはどうなるの?ということ。「アンドロイドは電気羊の夢を見る?」のかどうかは今回扱いません、あしからず。私のいとこはロボット工学を専攻していて、今ロボット開発の会社で働いているんですが(彼女は大学で空圧制御のプログラムを組んでフルートを吹く人型ロボットを開発していました)、そんな姿を見ているだけに、よくSF小説などで登場する高度に発達したロボットが存在する世界よりも、それがいかに作られるかってところに、手塚治虫なんかを読んでいて思っていたわけです。

アニメはその開発部分をすっとばして都合のよい活躍部分(もしくは暴走)を描いているわけだけど、そんな中でも開発に関するところも若干採り上げている。第一にロボットが人型である理由について。ここを経ないと、その後の制御系の話が意味を成さなくなってしまう。

人間に奉仕するためなら別に人型である必然性はそれほどない。実際米軍のロボット開発が人型を採用していないところをみると、より現実味を欠いていることになる。それを説明するために、ガンダムではミノフスキー粒子によってレーダーが使用不能となって、白兵戦の必要性が高まった事を理由に挙げているが、それと人型にすることとはなんら関係がない。かといってパワード・スーツ的な発想にしてはあまりに巨大すぎて格好の的になるのがおちだ(およそ19mで、当時の最新鋭戦闘機F14の全長にあやかっているという。これはマクロスに引き継がれて、実際にF14戦闘機の形状をもっていた)。その点ではボトムズ(4m)やパトレイバー(8m)の方がまだ現実味があるんだろう。

仮説として、『イノセンス』でも取り扱われていた、人間の完成形としての理想像をロボット(アンドロイド)に重ね合わせているというのはどうだろう。ガンダムも戦争という目的に焦点を当てたがために人型の必然性が薄れたが、理想型としての人型ロボットなら、それほど違和感はない。いや、理想型と限定せずとも、人の模倣、人間との類縁性のほうが、より説得力があるか。たとえばエヴァンゲリオンは「汎用人型決戦兵器」と名指されていたが、それは来襲する使徒と同じ存在であり、さらに人間もまた同様の補完されるべき存在だった。一方エウレカセブンでは未知の生命体スカブ・コーラルの生み出したLFOが、人間との対話を求めるためのコミュニケーション・ツールであり、そのために人型をしていた。上記の二つがより人間に近づいた、ひとつのキャラクターとして「意志」を持っていたのは示唆的だ。

さて人型であることはこれくらいにして、人型であるためにはどうすればいいのか。頭部、両手両足、そして胴体があって、歩き、手を使って作業をすること。その前提を支えているのはひとえに「立つこと」だ。立たなければ手が使えないし、人型である意味はない。つまり、姿勢制御システムの開発は人型にとって最も重要な位置を占めている。ホンダやソニーのロボット開発の要がここにあったし、バランスは作業における臨機応変な対応に欠かすことができない。この部分を細かく描写したのがパトレイバー。最初の多足歩行式大型マニピュレーターである「レイバー90」の開発が可能となったのも、重量の機体を維持するだけの姿勢制御システムを完成させたことに端を発しているという設定は、他のロボットものに比べて無理がない。

レイバー、特に「AV-98イングラム」は学習型のOSを搭載し、操縦者の力量次第で操作性が向上することからも、制御システムは人間をベースに開発された上で、さらに人間の操作によって補完するプログラムとなっているようだ。これは暴走したレイバーとの格闘に際して転倒しないため、また近隣の民家を巻き込まないためには必要なプログラムと言えるだろう。そのために暗躍するシャフト・エンタープライズの内海が、データを収集する目的で三機の軍事用レイバー「ブロッケン」を盗み出しもした。戦争に使用された場合でも、転倒する(ある地点で停止する)ことが敗因に繋がりかねない。つまり人間と一緒だということだ。一方ガンダムでは宇宙も舞台になっているので、専用の姿勢制御ブースター(アポジモーターと呼ばれる)がついている。これがなければ一定の方向に進むことすらできない。

ちなみに経済産業省の要請で財団法人製造科学技術センター(MSTC)で2004年に開発された人型ロボット「HRP-2」は、パトレイバーをモデルにしているという。開発部のスタッフがファンだったことからパトレイバーのメカニック・デザインを担当した出渕裕がデザインで参画している。

つぎに手の制御システム。手の動作を描写したシーンは多いようで、実はそれほどでもない。ロボットが人を手に乗せるシーンは多々あれ(「Z」でのアムロを回収するシーンなど)、指先まで動かしているのはまれだ。それはコックピットの中を見れば自ずと知れる。指先まで動かす指令系統が存在していないのだ。たいていは戦闘機に用いられるレバーで、上昇・下降、旋回に特化した操縦桿である。そもそもマニピュレーターとして設計されていないのは人型にしては不自然ですらある。ガンダムシリーズではほぼすべての作品で戦闘機型レバーが使用されており(サイコミュ、およびGガンダムは例外)、他のアニメでもこの事実は変わらないだろう。予想できるのはある一定の動作パターンを設定された指令系統が別にあり、そこで操作しているというもの。たとえばビームサーベルを取る動作、ハッチの開閉の際に使用するボタンを押す動作、人を乗せる際の動作、などなど。

特異な例は、先にも挙げたパトレイバー。学習型OSは指先の動作にも反映され、モーション・トレーサーがあやとりなど細かい作業も可能にしている。両手の指に操作グラブをはめて、まさしく人の動きをトレースすることで動かすわけだ。ただし学習機能は個人の癖まで読み取ってしまうために、複数のパイロットが使用するときには障害となってしまう場合がある。指先までの描写はないものの、ガンダムのスタッフたちが作ったショートフィルムの中では、Mk.Uを操縦するカミーユが操縦テストの際に個人的癖の話をしていることから、描写されていない部分で指先を操作している可能性はある。また、一風変わったコックピットの描写は、マクロスセブンのギター式操縦桿。果たしてどんな仕組みになっているのか・・・??

コックピットの描写にかけてはアニメ以上に精巧なつくりをみせたのが、ゲームの領域である。その中でも特筆に値するのはカプコンから発売されたシュミレーションゲーム、『鉄騎』。あくまで操縦のリアルさを追及した本作は実際にコックピットでロボットを操縦している感覚を存分に味わうことができる反面、過剰にリアルさを追求したがために本当に乗り物酔いをしてしまうユーザーが続出した。ミッションも難易度が高く、クリアできないのが当たり前のように周囲で語られた経緯がある。その点パトレイバーに近い要素を持っている。主人公、泉野明(いずみ・のあ)は乗り物酔いしないために研修をパスしたことがコミック第一巻でそれとなく描かれている。

ほかにもコックピットの映像伝達、変形・合体、機体の素材、さらに最も重要なエネルギー問題などまだまだ話すこといっぱいですが、今回はこの辺で。
posted by jaro at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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