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2009年09月06日
時計
しかし、機械がもはや驚異をではなく、有用性と進歩とを意味するようになると、時計もまた人間を支配する過酷な《時間》の歯車となる。おそらく、機械がテクノロジーのシンボルとして完成するのはこのときであろう。
宮川淳「手の失権 シンボルとしての機械と手工的な思考」
posted by jaro at 11:20|
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