いまグローバル社会を襲う多種多様な暴動や大変動に対して、アートはいかなる策を施せるのか?昨今の諍いに対する簡素で力強い芸術的仲裁のための挑戦は、保証でもなく、イリュージョンでもなく、ましてや感傷でもない、批評的で想像力に飛んだ活動への機会として見えもするだろう。だが多くのアーティストたちにとって、仲裁のモードはもはや批評的正当化の保証にはならず、そんなものは社会の中に芸術を位置づけることに何の批判もなく必要だと再度主張するか、いまの世界情勢から、厳密な自律性をあらためて導き出すことでしかないだろう。
オクウィ・エンヴェゾーがセビリア・ビエンナーレでやったことは、上記のような問題提起からだった。では実際どのような手法で展示を行ったのか?
近々いずれかの場所でその内容を掲載します。