鶴川が人々に好感を与える源をなしていたいかにも明朗なその容姿や、のびのびした体躯は、それが喪われた今、またしても私を人間の可視の部分に関する神秘的な思考へいざなった。我々の目に触れてそこにある限りのものが、あれほど明るい力を行使していたことのふしぎを思った。精神がこれほど素朴な実在感を持つためには、いかに多くを肉体に学ばなければならぬかを思った。
禅は無相を体とするといわれ、自分の心が形も相もないものだと知ることがすなわち見性だといわれるが、無相をそのまま見るほどの見性の能力は、おそらくまた、形態の魅力に対して極度に鋭敏でなければならない筈だ。形や相を無私の鋭敏さで見ることのできない者が、どうして無形や無相をそれほどありありと見、ありありと知ることができよう。
かくて鶴川のように、そこに存在するだけで光を放っていたもの、それに目も触れ手も触れることのできたもの、いわば生のための生とも呼ぶべきものは、それが喪われた今では、その明瞭な形態が不明瞭な無形態のもっとも明確な比喩であり、その実在感が形のない虚無のもっとも実在的な模型であり、彼その人がこうした比喩にすぎなかったのではないかと思われた。
たとえば、彼と五月の花々との似つかわしさ、ふさわしさは、ほかでもないこの五月の突然の死によって、彼の柩に投げこまれた花々との、似つかわしさ、ふさわしさなのであった。
三島由紀夫 『金閣寺』