2005年12月31日

シルス

『ゲルハルト・リヒター:シルス』。1992年、スイス東南部、シルス村。険しい山脈と湖に囲まれたこの小さな村で、ささやかな展覧会が開かれた。ニーチェゆかりの地としても知られているこの場所で、ニーチェ・ハウスと呼ばれる館で開かれた展覧会は、ニーチェ、リヒター、そしてこの企画をたてたハンス・ウルリッヒ・オブリストという三人がくしくも邂逅することとなる。

richter_sils.jpg


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2005年12月16日

中間地帯

シンメトリーの重要性は、右にも左にもない。おそらく、軸。そこにある。
鏡の構造と同じく、シンメトリーを発生させる厚さのない薄膜。

やはりそこにとどまり続けるべきだ。
遠回りだろうと、今、この場を見続けること。
合理性と超越性、そのどちらにも関わり、そのどちらでもないもの。

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2005年12月14日

思うことと言うことと行うこと

何かを考える。
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それを言葉にする。
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そして実行。

この三つの間に横たわる差異は結構大きい。
時間も、変質も、環境も。

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posted by jaro at 01:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

《紅白梅図屏風》の金箔、その後

 結局、初見の者には関係のない話だ。それが金箔だろうが、金泥だろうが、雅な屏風であることに変わりはない。ところが《紅白梅図屏風》に使用された金箔が実は金箔ではなかったかもしれない、という疑義が呈されて一年余り、いまだにこの論争は続いている。つい最近尾形光琳のもう一つの作品、《燕子花屏風》の調査結果は、この論争の火種を消すどころか油を注いでいるようだ。

kakitsubata.jpg

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2005年12月12日

<言分け(ことわけ)構造>と<身分け(みわけ)構造>

動物には存在しないカオスやエスや無意識が人間においてのみ発生したのは、コスモス=ランガージュ=<言分け構造>が生じて自我や意識を生み出し、<身分け構造>を破壊した瞬間からであった。
丸山圭三郎 『文化のフェティシズム』
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2005年12月09日

アレゴリー消滅

アマゾンから注文していたダグラス・ゴードンの『The VANITY of Allegory』が届いた・・・のだけれど、箱が潰れていた。しょっく。確かに紙の箱だし、上に何か重いものを乗せられて潰れたのだろう。箱とはいえ、これは展覧会カタログという書籍扱いになるから、しょうがないといえばしょうがない。だけど、なんともやりきれない!!納期が遅れただけに、アマゾンに文句言ってやりたい。

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2005年12月06日

ガンダム展

 昨日は後輩にせがまれてガンダム展に行ってきました。ここで後輩を使うところが未だ抵抗があるのか、と自問自答しています。でも皆さんもすくなからず抵抗あるでしょう?あれ、ない?

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 きっとこの抵抗感はアニメそのものではなくて、アニメに群がるファンの異様な熱気に原因があるんだろうと思う。企画者はガンダムの人気の秘密を「制作当初からシリアスな科学考証をベースにし…(以下略)」と語っているが、ファンの熱気の一つはこうした基礎設定資料にあり、それをもとに各自で世界観を膨らませるのが、その熱気の外側にいるものに違和感をもたらすんだろう。ワールドカップの熱狂、野球ファンの熱狂、三国志マニアの武将議論には、これに類似した要素がある。

結構長いですけど続きを読まれる方はこちらからどうぞ。
posted by jaro at 01:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 展覧会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月05日

田中敦子氏の訃報

具体の作家田中敦子氏が3日に亡くなった、という話を聞いた。73歳だった。東野氏のことといい、ここのところ戦後活躍した美術界の人々が立て続けに亡くなっている。

田中敦子は複数の円を基調として描いた絵画が有名だが、それは「電気服」という電球を何個も洋服に取り付けたパフォーマンスにあるように、電球と配線を象徴させている。最近僕が見た彼女の作品は、年明け頃開かれていた東京国立近代美術館での「痕跡」展でのことで、作品名は《Round on Sand》(1968年)だった。浜辺でピッケルを持った彼女が、延々砂地に円を描いているビデオ作品。巨大な円は次第に波にさらわれ消えていく。それにもかかわらず取り付かれたように描き続ける様が、なんとも異様で、はかなくもあった。

高齢化故に具体の作家もだんだん少なくなってきている。一方彼らの作品も、その多くを所蔵する芦屋市美術館の閉館問題で散逸の危機にさらされている。最近「もの派」を再考しようという企画が各地で起こっていたが、それより一世代前の「具体」というムーヴメントも、もっと再考されてしかるべきだと思う。

ご冥福をお祈りいたします。

《Round on Sand》1968
posted by jaro at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カメラの眼を持つ男

アンドレアス・ファイニンガー《フォト・ジャーナリスト》1955年


それはカメラの眼を持つ男。
見たものを即座に記録し、焼き付ける時代の証人。
証人の証言に嘘偽りがあれば、それは偽証罪になる。
見たままに証言すること。
それがフォト・ジャーナリストの使命である。
アンドレアス・ファイニンガーの一枚《フォト・ジャーナリスト》、
それは容易く現実の加工が行われる現在の状況に、
強く訴えかける鋭い眼差しを思わせる。
posted by jaro at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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