2005年11月28日

黒と灰と白の関係

眼に暗いものが提供されると、それは明るいものを要求する。眼に向かって明るいものがもたらされると、それは暗いものを要求する。そうすることによって眼はその活発さ、対象を捉えようとするその権利を如実に示し、対象と対立しているあるものを自分自身の内部から生み出すのである。(三八節)

合一したものを分裂させ、分裂したものを合一させることは自然の生命である。これはわれわれが生きて働き存在している世界の永遠の収縮と弛緩、永遠の結合と分離、呼気と吸気である。(七三九節)
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ『色彩論』


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2005年11月26日

写真の現在

今日はたまっている仕事を片付けられないまま、書評の仕事のため(と個人的理由)から、東近美の「ドイツ写真の現在」展に行ってきました。同時に「アウグスト・ザンダー」展もあわせて鑑賞。「ドイツ写真」というジャンルがあるわけではないけれど、ベッヒャー・シューレ(派)は確実にドイツを代表する動向として認識されている。今美術はドイツが熱い。そう言っても過言ではないほど、ドイツ人の、もしくはドイツ出身のアーティストが活躍している。

試しにファイドンから出ている『アート・ナウ』に登場するアーティストの出身を眺めてみると、かなりの数ドイツ人の名が挙がる。確かにこの本にはヨーロッパ人至上主義という性格がついて回るので必ずしも当てにはならないが(アジアはアラーキーと森真理子の二人のみ)、そのヨーロッパの中でもこれほどドイツ人が名を連ねるのも珍しい。いや、もっと驚くべきはフランス人アーティストの少なさのほうかもしれない。廉価版『アートナウ』にはなんとフランス人が一人しかいない!もしこれから美術の勉強をするなら、英語に加えてドイツ語をやっておくと大変重宝するかもしれない。もちろん長所・短所はあるけれど。

『ドイツ写真の現在――かわりゆく「現実」と向かいあうために』東京国立近代美術館ほか/読売新聞社 2005年 2000円

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2005年11月23日

つれづれ

 朝、久々に夢の記憶が残っていた。ある晴れた日。板敷きの道場で延々とでんぐり返し。ふいに坊主が現れ、活をいれる棒(警策「きょうさく」)で真剣に床をたたいている。外では叫び続ける季節はずれのホトトギス。「ボーヲゲギョ!!」。それはおよそ悲鳴に近い。君は叩かれちゃいないんだよ…。

 昼間、作業をする合間に美術手帖の最新号を読む。今月はダンス特集。「こども身体」を語る松井みどりがいた。コントロールされない未分化な身体。それが90年代以降のポストモダン的現代アートだという。混沌とした状態から生起する新しい芸術の形。予想通り登場するドゥルーズの「生成変化」という言葉。村上隆、小沢剛、アルトー、土方巽。うぅむ、なにか解せない。一体なぜだろう?

 少し前からパースの『連続性の哲学』を読み始めている。ある人との会話の一助となるようこの本を選んだ。一般にはプラグマティズムと呼ばれる考え方をもつアメリカ思想家の一人。推論に対する考察が面白い。

「人間の推論一般の素晴らしい性質とは、推論は基本的にそれ自身を訂正する性向を持っており、推論が賢く計画づけられていれば、それだけその可能性も大きいということである」。

 下線部分をどう展開するのか、続きが気になってきた。

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2005年11月22日

作品/アーティスト/キュレーター

インタビューを拒否し続けている理由は、作品じゃなくてアーティストが前面に出てしまうためです。作品に向かうべきなのに、知らなくてもいいようなことを話しすぎてしまうから。
ルイーズ・ローラー
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2005年11月20日

東野芳明氏逝く

今日の朝刊の社会面を見ると、「前衛美術を紹介 東野芳明さん死去」という記事を発見。

ああ、とうとう亡くなられたのですか。既に死んでいると思っている方も何人かいますけど、十数年前から彼は植物状態だと聞いていました。「パウル・クレエ試論」で美術出版社の評論賞をとってデビュー、美術評論の「御三家」の一人と言われた人でした。ちなみに多摩美の芸術学科の創設者でもある。80年代にはマルセル・デュシャンの「大ガラス」を復元するプロジェクトを立てたり、ヴェネチア・ビエンナーレのコミッショナーになったりと、色々活動していました。なにか長年引き伸ばされていた一つの時代が終わった感があるのは、僕だけだろうか。

なんか美術批評家って少なくなったなぁ。それ以前に美術批評自体すでに空中分解している感じ。なんとかせねばね。
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ゴダールの引用/レヴィナス

ゴダール『アワーミュージック』を見る。早朝、その日の第一回目を見て、ゴダールらしさとゴダールらしからなさ、の両面を感じた。全体の評はまた後に書こうと思う。

パンフレットを買って気がつくこと。ゴダールの引用癖は相変わらずだと思ったが、そのなかにエマニュエル・レヴィナスが二回引用されている。『時間と他者』と『われわれのあいだで』のふたつ。家に帰ってレヴィナスを引いてみる。僕の持っているのは『時間と他者』だ。引用されていた箇所は以下の通り。

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2005年11月18日

それは私たち自身の中にある音楽

現実のエルシノア城と、想像のハムレット。イメージの切り返し。想像的な確実さ、現実的な不確実さ。映画の原理とは、光に向かい、その光で私たちの闇を照らすこと。ノートル・ミュージック(私たちの音楽)。

ジャン=リュック・ゴダール『アワーミュージック』
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2005年11月16日

時間彫刻器

停止した死は不死だよ。
阿部公房 『壁』
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2005年11月14日

クリシェの病

ツァラトゥストラを病気にするものとは、
まさしくサイクルのイデーなのである。
〈一切〉が回帰するというイデー、
〈同一なもの〉が回帰し、
すべては同一へと回帰するというイデーである。
ジル・ドゥルーズ『ニーチェ』
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風邪/Basel/クレー/マルチチュード

先日から風邪を引いております。
が、昨日一日寝ていたんでおそらく大丈夫でしょう。

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今日の「世界の車窓から」はスイスの国境街バーゼルでした。
昨年5月末に行って以来、久々に街を見ました。

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2005年11月13日

因数分解とミニマリズム

「頭いいヤツは因数分解が得意なんだよ」
そうビートたけしが言った。
一つのファクターをみつけて活用することができる人物のことを言っているのだが、要するに次のようなことらしい。

 映画で、殺人者(x)が被害者三人(A、B、C)を殺害するシーンを撮るとする。通常なら三人を殺害するシーンを順々に撮っていくところだが(Ax+Bx+Cx)、因数分解する監督はこれをx(A+B+C)と解釈する。具体的には、俳優に血のついたナイフを持たせて、死体の一部でもいいから三体用意すればそれで事足りるのである。

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2005年11月11日

情報伝達では、ない。

コミュニケーションという現象は、伝達される何か、にではなく、それを受ける人には何が起こるのか、にかかっているのだ。そしてこれは、「情報を伝達する」ということとはたいへんに異なった事態だ。

ウンベルト・マトゥラーナ/フランシスコ・バレーラ『知恵の樹』

「Reality: The Search for Objectivity or the Quest for a Compelling Argument」より
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2005年11月09日

パリは燃えているか?

収まる気配もなく、パリはまだ燃えている。

フランス政府は8日、非常事態法に基づき県知事に夜間外出禁止の発令権限を与える政令を出した。この政令は1955年にアルジェリア戦争時に制定された法律で、61年にクーデターを未然に防ぐため適用されて以来実に44年ぶりとなる。68年のパリ5月革命のときでさえ発令されなかったこの政令が、今になって蘇った。

なんだかフランスの抱えていた矛盾が一気に噴出したみたいだ。移民問題、報道倫理、ナショナリズム、失業問題、経済不況…。今はまだ聞かないが、国民戦線のジャン=マリ・ルペンはまだしゃしゃり出てこないんだろうか。「犯人は分かっている!」お決まりの文句が跳んできそうだ。

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2005年11月06日

共通感覚

体性感覚とは、
狭い意味での触覚だけでなく、
筋肉感覚や運動感覚をも含みものである。
そしてこの体性感覚的統合が
諸感覚の基体的・述語的統合であるのに対して、
主体的・主語的統合をなすものが
諸感覚の視覚的統合である、と言えるだろう。

中村雄二郎 『共通感覚論』
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横浜トリエンナーレ

昨晩急に友人の編集者が「横トリにいこう」とメールを打ってきたので、今日の予定を繰り下げて横浜に行ってきた。横トリのついでに、夕方に開かれるartscape10周年記念イベントもあるというので、Bankart1929にも寄ってみることに。

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2005年11月04日

エントロピーとシャノン

エントロピーを調べていて、情報理論の創始者クロード・シャノンにたどり着いた。彼は記号論と数学を組み合わせて当時計算しかできなかったコンピュータに論理演算を導入した人。今ではピンと来ないけれど、1930年代のコンピュータは10進法で設計されていたらしい。だがシャノンの修士論文『A Symbolic Analysis of Relay and Switching Circuits(継電器とスイッチ回路の記号論的解析)』(1936)でスイッチのオン・オフが記号論における真・偽に対応することを指摘して、コンピュータに2進法を組み入れることを提唱した。

なんだか面白い話。僕は少し誤解していたところがある。よく人間の思考とコンピュータの類似性が取り上げられているけど、コンピュータの創成期に組み入れられた2進法は、人間の価値判断である真・偽による二項対立がモデルだったなんて。偶然ではなくちゃんとした起源があったわけだ。

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posted by jaro at 04:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月02日

デペイズマン作用の定理

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第一、この彫像が本当にデペイゼされ別の環境に移されるためには、それはまず型どおりの場所で型どおりの生を送っているのでなければならない、とつけくわえておくべきだろう。
アンドレ・ブルトン、『百頭女』のための緒言
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