朝、久々に夢の記憶が残っていた。ある晴れた日。板敷きの道場で延々とでんぐり返し。ふいに坊主が現れ、活をいれる棒(警策「きょうさく」)で真剣に床をたたいている。外では叫び続ける季節はずれのホトトギス。「ボーヲゲギョ!!」。それはおよそ悲鳴に近い。君は叩かれちゃいないんだよ…。
昼間、作業をする合間に美術手帖の最新号を読む。今月はダンス特集。「こども身体」を語る松井みどりがいた。コントロールされない未分化な身体。それが90年代以降のポストモダン的現代アートだという。混沌とした状態から生起する新しい芸術の形。予想通り登場するドゥルーズの「生成変化」という言葉。村上隆、小沢剛、アルトー、土方巽。うぅむ、なにか解せない。一体なぜだろう?
少し前からパースの『連続性の哲学』を読み始めている。ある人との会話の一助となるようこの本を選んだ。一般にはプラグマティズムと呼ばれる考え方をもつアメリカ思想家の一人。推論に対する考察が面白い。
「人間の推論一般の素晴らしい性質とは、推論は基本的にそれ自身を訂正する性向を持っており、
推論が賢く計画づけられていれば、それだけその可能性も大きいということである」。
下線部分をどう展開するのか、続きが気になってきた。